ワーホリ6か月目 Perth(パース)にて12月
パースでの生活のはじまり
ブリスベンからパースまでの4か月間のラウンド(一周してないけど…)を終え(と言うか、終わらせたと言うか)、しばらくパースに腰を据えることにしました。
とは言え、何をするかは何も決まっていません。
そんな時は…
とりあえず1ヶ月間語学学校に通う
学校に通っている間に、友達も増え、やりたい事も見えてくるだろう、というこんたんです。
現地の留学センターに紹介してもらった学校に3校ほど見学に行き、結局決めたのは、5年前に短期語学研修で3週間ほど通った学校。カウンセラーと面談した際、その事を話したら「覚えてるわよ~!!」って…
いやいや… お心遣い、嬉しく思います…
1カ月間、午前中のみのコースで申し込み。その間は、ホームステイすることにしました。勉強しなければいけませんので(まじめか…)、静かな自分の部屋が欲しかったのです。
ここで、現地の留学センターって、日本の留学エージェントと何か違うの?と思った方はこちらの記事をご参照ください。
学校は、生徒はアジア・東南アジア系がこの時は多く、教室内がほぼ黒髪。
う~ん、もう少し金髪の割合が多くないとなぁ…
学校見学はしたんだけど、自分が入るタイミングとか、クラスによってはこういう事も起こりうるのであります…
日本人の少ない学校を探すのに、もう少し知恵が欲しいという方は、こちらの記事もとても参考になります。
さて、何はともあれ手筈は整いました。
1カ月の語学学校の始まりです。
パースでのホームステイ
11月末からクリスマスまでの約1か月間、ホームステイをしながら語学学校に通う事になったわけですが、今回私がお世話になる事になったご家庭(?)をご紹介させて頂きます。
タニア(家主) | 28歳 女性 ファイナンシャルプランナー |
ショーン | 10代後半 男性 シンガポールの留学生 ホームステイ中 |
タニアの彼氏 | 30代前後(たぶん?) 男性 |
ホストマザー(独身だからマザーじゃないか…)は、お若くして戸建てのオーナー、バリバリキャリアウーマンのタニアさん。
スゲーなぁ…
そして、ショーンというシンガポールの留学生がもう一人ホームステイしていました。
タニアさんの彼氏は一緒に住んでいるわけではありませんでしたが、週の半分は来てました。
タニアさんは、バリバリのビジネスウーマンだったため、食事面はかなり手抜きでした。朝食と夕食の一日2食でしたが、朝食は、食卓に準備されているパンやシリアルなどを自分で好きなように食べる(このスタイルはホームステイでは普通です)、夕飯はタニアさんは、仕事で帰宅が遅いため準備されているもの(ワンプレートで、おかずの内容は、ほぼ既製品で構成されていた)を温めて各自食べるという、かなりの放任のスタイル。
しかし、この時の私は、ワーホリも6か月目。ラウンドを共にした相棒(マチ)もパースでのんびり滞在することになったため、午前のみの授業が終わると、午後は学校の友達やワーホリ仲間と遊ぶという生活スタイルになっていきました。夕飯は外食が増え、外泊もしばしば。 なので、この放任スタイルのホームステイはむしろ好都合。
たまに家でショーン(彼も外泊しがち)や、タニアさんとタニアさんの彼氏と会い、おしゃべり。皆で一緒に食事をした記憶はほぼありません。 時には、家に一人だったこともある。
このように、ホームステイでもよく皆さんが想像するようなアットホームなものから、放任スタイル(?)まで、いろいろあります。 アットホームなものを想定して、行った先がこのような家庭(?)だと、「話が違います!!!」となるので、ホームステイを紹介してもらう際は、各自要望はしっかりと先方に伝えましょう。
詳しくは、こちらの記事をご参照ください。
パースの語学学校での日々
パースで1カ月通った語学学校の私のクラスは、とても黒髪比率が高かったです。タイ、インドネシア、マレーシア、台湾、香港、韓国、中国等が私のいたクラスは多かったです。(他のクラスは、もうちょっと金髪がいたような)10代半ば~20代前半の学生さんが多かったように思います。
この頃、アジアの若者は日本に憧れに似た感情を持つ人が多かったようで、なんだかチヤホヤされました。
気分は… 良かったです(笑)
私は、今までオーストラリアとカナダで4回語学学校に通いました。そこで、様々な国の人と接し、国の違いによるカルチャーショックなど沢山受けました。中でも、度々感じることは、先進国ではない国からきている学生さんは、なかなかのお金持ちであるという事。
自分の国では、家に何人もお手伝いさんがいるとか、こちらに来ていても、車を持っていたり、寮ではなく、戸建てを借りて兄弟と住んでいたり。同じクラスで勉強していながら、節約ワーホリの我々とは格の違う生活をしていたりすることもあります。
よくよく考えてみれば、生活水準の低い国から異国に留学するなんて、そりゃあお金持ちしかできないのは、わかります…
日本は、普通の家庭に育った我々が、普通にお金を貯めれば、誰でも異国に行くことができます。特別なお金持ちである必要はありません。日本円の強さと共に、日本は、本当に一億総中流な国だなぁと実感し、日本に生まれたことを感謝する瞬間であります。
放課後、二十歳そこそこ(私よりずいぶん年下)のインドネシア人のクラスメートに、自前の車でマレーシア料理のレストランに連れて行ってもらい、全部おごってくれる。(下心なし、ただの友達としてこれを普通にしてくれる)
節約ワーホリの私は、ウハウハで帰宅します。 でも、どこか複雑… 。
私は、人におごってもらうよりも、人におごれるステイタスを身に着けたい…
ウハウハで帰ってきて言う事か!
これもまた、世界を知る上での良い経験になります。
そして、この語学学校では、一人の日本人婦人(詳しい年齢はわかりませんが、すで職を定年された方です)と出会いました。クラスメートのとてもやさしいやすこさんです。
やすこさんは、教職を定年されて、ご夫婦で短期語学研修中でした。お二人は、コンドミニアムを借りてパースに滞在されていました。
一度、お二人のお部屋に学校の友達数人でおじゃまし、日本食をご馳走になりました。 久々の日本食は旨い旨い!! 巻きずしやら天ぷらやら、やすこさん本当にご馳走様でした。
自分も、将来こんな風に海外を楽しめる、余裕のある暮らしをしていたいものだと強く思いました。
パースでのクリスマス、そして年越し!!
12月と言えば、クリスマスあり、年越しありと1年の中でもビッグイベントが目白押しの月です。 そんなビッグイベントを海外で過ごしたことなど、中流の私は一度もありません。 期待でドキドキします! どうなるのでしょうか?
クリスマス🎄 イン パース!!
12月はオーストラリアは夏です。パースもあっついあっつい。
パースもまたインド洋の美しいビーチがたくさんあります。
Cottesloe Beach (コッテスロービーチ)、Scarborough Beach (スカボロービーチ)、Swanbourne Beach (スワンボーンビーチ)等々、パース近郊だけでも、5~6ビーチはありますが、私がよく行っていたのは、コッテスロービーチとスカボロービーチ。 広く長いビーチ、程よい高さの波(手ぶらで行っても、海と躍動的?にたわむれられます)。 気持ちいいんです。

真夏のクリスマス。 初めてです。
すると、ホームステイ先のタニアさんが私を、実家のクリスマスファミリーパーティーに招待してくれました!! なんと!! 嬉しい!! 行きますとも~!!
でもでも、やはり言葉の壁が分厚く立ちはだかります。タニアさんの一人暮らしの家にホームステイしていたので、タニアさんのご家族には会ったことがないんですよね~。そこで、タニアさんが私のドキドキを察してか、「友達を連れてきてもいいわよ。」と言ってくれたので、相棒のマチを誘ってお邪魔しました。
12月24日のパーティー当日、タニアさんのご家族と何を話したのか、話してないのか、緊張であまり覚えてません。お食事はたらふくいただきました。ただ、相棒が居てくれたことで、相当気は楽になりました。
そして、忘れられないのが、パーティーの後、タニア家の近所の教会のミサ、その名も Midnight Church にご家族と一緒に参加しました。その教会は、なかなかの規模の教会でした。
そこでの深夜のミサが、おごそかな事おごそかな事!!
クリスマスって本来こういうものなのね~。 ス・テ・キ💛
讃美歌うたいまくり 🎵 讃美歌の美しさに心が浄化されていくようです。
今更ですが、クリスマスって、キリスト教の神聖な宗教行事なんだなぁ。
隣の席で、マチが泣きそうになっていました。
今までの人生の中で、最も美しいクリスマスでした。
タニアさんとご家族に、心から感謝!!
翌日の25日、スカボロービーチに行くと、海パンにサンタ帽をかぶったオージーが沢山いました。
年越し イン パース!!
クリスマスの後、1カ月のホームステイを終え、相棒(マチ)がロングステイしている宿に住まい(?)を移動しました。
Geraldton (ジェラルトン)でマチとお別れしたつもりでしたが、なんだかんだでまた一緒です。マチとはホームステイしている間も、学校終わりで頻繁に遊んでいましたので、マチの宿に何度も出入りするうちに、その宿にステイしているワーホリ仲間とも仲良くなり… 結果、年越しはこの宿仲間とすることになりました。
街の中心の広場(G.P.O. 前)で、カウントダウンイベントがあったので、おめかし(普段は、全く着ないワンピース)して、クラッカーを持参して、とりあえず盛り上がってきました。
広場には、沢山の人が集まり、打ち上げ花火も新年が明けたと同時に数発打ち上げられていました。
しかし、年越しは、クリスマス程の盛り上がりは感じられませんでした。
クリスマスがいかに、神聖で重要なイベントであるかをここでも実感しました。
年越しはパースでバカ騒ぎをしましたが、個人的には年越しに関しては、日本で紅白や、行く年くる年や、年越しバラエティーをテレビでミカンを食べながらしっとり迎えるのが、グッとくるなと思いました。