新型コロナウィルスの終息が見え始め、世界各地への渡航、交流が徐々に元の状態にもどりつつあります。
さあ、準備をはじめましょう。

オーストラリア パースで2カ月のフリアコ体験

体験記 in Australia

ここでは、ワーホリ8カ月目にしてひょんな事から、フリアコ(フリーアコモデーションの略)を2カ月する事になった体験談を綴らせて頂こうと思います。

そもそも、フリアコとは何ぞやという疑問をお持ちの方もいらっしゃるかと思いますので…

フリアコとは…  Free Acomodation(フリーアコモデーション)の略、日本人ワーホリ用語。宿で働く(掃除、フロント、送迎等、役割はいろいろ)代わりに宿代がタダになるという、安宿にはよくある仕組み

 

節約したい旅人には、持ってこいの仕組みで、滞在費用はかかりませんし、一日2~3時間(仕事内容にもよる)のお仕事を済ませてしまえば、後は自由!! 毎日泊りに来る様々な旅人との交流もあります。

ただし、毎日少々騒がしいです。(宿にもよりますが…)

フリアコに勧誘された経緯

4カ月のラウンドを一旦終了させて、パースに腰を落ち着けようと決め、最初の1か月間はホームステイしながら語学学校に通いました。

その後、この宿に移り、あれよあれよという間に2カ月が経過していました。

長居していると、この宿の住人(?)達(この宿のフリアコ君たち、そして、同じく長居しているワーホリや旅人達)ととても仲良くなってしまいます。

 

というか、仲良くなったから長居してしまったというか…

そろそろ2カ月が経つなという頃、周りを見まわすと、皆宿にいながらも、学校へ通ったり、スキューバダイビングのライセンスの取得をしたり、フリアコだったりと、何かしら行動をしていました。

私はというと、何も活動せずただダラダラと宿にいる生活が1カ月半ほど続いていました。

これはさすがにマズイ!! と、にわかに焦りだしました。

 

とは言え、すぐに何かやりたいことが見つかるわけでもなかったので、取り急ぎ、この宿から出る事にし、後ろ髪をひかれつつ、知り合いのシェアルームに移る事にしました。

引っ越し当日、2カ月いた宿をしぶしぶチェックアウトし、荷物を宿の仲間に手伝ってもらいシェアルームに運び、とりあえず宿に戻りました…(なぜ、宿に戻る??)

 

宿 → シェアルーム

宿の仲間と別れを惜しみつつ、チェックアウトしたのに、宿のテラスで夜までダラダラしていました。

すると、フロントのフリアコのエイダン(イギリスのワーホリ)が声をかけてきました。

エイダン:「ここにまだ居たいのか?」

私:「うん、でももう行かなきゃね。」

エイダン:「じゃ、フリアコやるか?」

私:「えっっ!!!(30秒ほど考える…)」

「やる~!!! やる、やる!!」

と、チェックアウトしたのになかなか出て行かない往生際の悪い私に、エイダンのえいだん(英断) 😳

 

引っ越しを手伝ってくれた仲間と共に、またシェアルームから宿に荷物を移動。

 

シェアルーム → 宿

シェアルームの知り合いには、誤り倒しました。

が、いい顔はされませんでした。

当たり前です!! 誰だって、怒りますよ。

荷物を引き上げ、宿に戻る車の中は、大騒ぎ!!

「こんな事ある!? ありえんわ~!! www」

この時の事を思い出す度、良心の呵責と棚からぼた餅感の両方に襲われます。

かくして、ただの長居する客からフリアコへ昇格した(?)私は、大手を振ってまたこの居心地の良い宿に、長居するのでありました(笑)

フリアコのお仕事

この宿のフリアコは、そう人数は足りているのです。欠員が出たわけでもないのに、エイダンは往生際の悪い私をフリアコとして滞在させてくれたのです。

通常のフリアコのお仕事は、清掃・フロント業務・送迎・通訳等(宿によって、仕事内容は変わります)。 宿の規模によって、一人が何役もやるところもあれば、仕事によって担当が決まっているところも。 私の居た宿は、そこそこの規模だったため、仕事によって担当が決まっていました。

エイダンは、往生際の悪い私のために、新しいお仕事を考えてくれました。

私が、与えられたお仕事は、バスターミナルや鉄道の駅に行く宿の送迎車に一緒に乗っていき、まだ宿の決まっていないお客さんを勧誘するというものでした。

送迎車のドライバーは、英語圏のフリアコだったので、英語圏のお客さんの勧誘はドライバーさんが担当し、私はほぼ日本人担当。

エイダンが作成した宿の値段表を握りしめ、バスや鉄道の駅でお仕事しました。

毎回、バスや鉄道が着くたびに、ドキドキしてました。

飛び込み営業みたいなもんですから。

勧誘成績は…  あまりよくありませんでした。

トホホ… エイダンごめんなさい。

仕事は、なぜか一日おき(楽~、助かる~)。

フリアコとしては、あまり一般的ではないタイプですが、私はこのフリアコを2カ月間続けました。

フリアコの仕事中の出来事

East Perth Station

パースのフリアコのお仕事で、よくイーストパース駅に行きました。

ここは、シドニーからパース間を結ぶ、かの有名な大陸横断鉄道インディアンパシフィック号の発着駅です。

インディアンパシフィック号

私は、このイーストパース駅で初めて、お客さんの勧誘に成功しました。

インディアンパシフィック号の到着に合わせて駅に行き、列車の到着を待ちます。

来ました来ました。

長~い長~い。 先頭車両からは、最後尾が全く見えません。

インディアンパシフィック号を目の当たりにするのは、初めてだったのですが、もうこちとら勧誘の仕事でドキドキしてますから、それどころではありません。

 

列車が停まり、乗客が続々と降りてきます。

始めのうちは、あまりの乗客の多さに、声をかけることさえ出来ません。

しばらくすると、人波が少しづつまばらになってきて、ようやく声をかけられそうな空間がホームにでき始めました。

私は、バックパックを担いだワーホリらしき乗客を探し出しては、「あの~、今晩の宿はおきまりですか?」とたずねますが、なかなかその先の話に進めず、声掛けをつづけていました。

乗客もそろそろ最後かなという頃、一人の日本人女子がバックパックを担いでこちらに歩いてきます。

「よし、最後にもう一人行くぞ!」 と、気合いをいれ、声を掛けました。

「こんにちは~、今晩のお宿はおきまりですか?」

すると、まだ決まっていないとのこと。 よっしゃ~! 勧誘! 勧誘!

すかさず、宿の値段や設備、サービス等一通り説明し、

「いかがでしょうか?」

すると、「じゃあ、お願しま~す。」のお返事。

やりました!!! 初のお客ゲット!!!

この後、グレハン(グレイハウンドバス、長距離バス)のターミナルなどでも、少しづつお客様を宿に勧誘できるようになっていきました。

フリアコで勧誘した初のお客様は、インパシ(ワーホリ略語:インディアンパシフィック号の事)でやって来たジュンコちゃん。

彼女は、とてもバイタリティー溢れる、カッコいい女子でありました。

ここでジュンコちゃんについて、少々解説させてください。

彼女は、この時、 ニュージーランドのワーホリでした。ニュージーランドからオーストラリアに旅行に来ていた最中なのでありました。

日本でのお仕事は看護師さんです。彼女の夢は、「海外の英語圏で看護師の免許を取得し、世界を仕事しながら旅する人生を送りたい」というものでした。日本の看護師免許では、日本でしか働くことはできません。英語圏で就労したい場合は、英語圏の看護師免許を取得する必要があります。

しかし、本人曰く「でも、今はまだ英語は全然だし、頭悪いから無理かもしんないけどね」。その時は、とにかく海外でいろんな経験を積んで英語の能力を上げたいのだということでした。

そして、彼女はなかなかのお酒好き💛

宿の毎晩の宴会仲間に、その日のうちに入ってしまいました。

宿には、1カ月くらいしか居なかったのですが、その間に宿の皆とめちゃくちゃ飲み(彼女にとっては普通のこと)めちゃくちゃ仲良くなって、ちゃっかりパースでオージーの彼氏を作ってチェックアウト。

チェックアウト後も、そして、ワーホリ後も私たちの交流は続きます。

その彼氏との数年の付き合いの中で、彼女はニュージーのワーホリ終了後、再び日本で看護師をして、お金を貯め、次はオーストラリアワーホリへ。彼女の英語力メキメキ上昇。

その後、日本で再び資金を貯め、アメリカへ渡ります。病院スタッフ(英語圏の看護師免許がなくてもできる仕事の範囲)をしながら、勉強をする生活をし、晴れて免許取得。現在は、正看護師としてアメリカで働いています。

彼女の夢を実現させるための行動力。 しかも、楽しみながら。

そう、彼女はいつも楽しんでいるのです。

 

彼女は、私の「人生で出会った最も刺激的かつ影響力のあった人の中の一人 」に明らかに入る人なのでありました。

こんな素晴らしい出会いをくれたフリアコに感謝!

フリアコしながら出来る事

フリアコは、一日2~3時間の与えられたお仕事をこなしてしまえば、あとは自由です。

なので、フリアコは結構いろいろできます。

以下は、私の周りのフリアコがやっていた昼間の活動です。

  • バイクの免許をとる
  • スキューバダイビングのライセンスをとる
  • 就職活動
  • 語学学校へ通う
  • 旅行

最後の旅行は、自分がいない間、代わりにフリアコをやってくれる人を見つけて、責任者の許可が得られれば可能です。1週間程度なら宿の仲良くなった宿泊客などから、結構すぐ見つかります。

フリアコは魅力的ですからね。

私は、フリアコ中にバイクの免許を取得しました 😉

以上、パースでの2ヶ月間フリアコ体験 でした。