新型コロナウィルスの終息が見え始め、世界各地への渡航、交流が徐々に元の状態にもどりつつあります。
さあ、準備をはじめましょう。

海外で日本人としてのアイデンティティについて考えてみた

エッセイ

アイデンティティーって何?

アイデンティティー(Identity)とは、辞書によると

「自己同一性」の事で、心理学や社会学において、一貫した自己・自我の意識の事を指す言葉です。状況や時期などによって変わることのない「自分は自分である」という自己認識として確立されるものを意味します。

近年、身分証明の事を ID と言いますが、この ID も Identity(アイデンティティ)の動詞形 Identify(アイデンティファイ ー 自分自身である事を証明するという意味)の略です。

「自己のアイデンティティについて考える」とは、「自分が何者であるかについて考える」ということです。

日本人としてのアイデンティティについて考えた事ありますか?

「日本人としてのアイデンティティについて考えた事はありますか?」という質問にピンとくる人とピンとこない人がいると思います。

ワーホリで海外生活を経験する前の私は、この質問に全くピンとこない人でした。

日本に生まれ、日本で育ち、家族や周囲に日本人以外の人種のいない環境で何年も生活している中で、「日本人とは…」「日本人としての自分とは…」なんて考えるわけがありません。考えるきっかけすらありませんでした。少なくとも私は…

グローバル化の進んだ現在でも、日本に住む外国人は約283万人(2019年6月末時点 に出入国在留管理庁調べ)、日本の総人口のたったの2%に過ぎません。

日本人として日本に住んでいる限り、圧倒的マジョリティ(多数派)なわけです。

マジョリティがマジョリティのために作り上げた世界で生きているのです。

私は自分がマジョリティであるうちは(日本でしか暮らしたことがなかったうちは)、「日本人である自分について」なんてチラリとも疑問に感じたことがありませんでした。

ですが、海外に行くと途端に日本人はマイノリティ(少数派)になります。
私は、マイノリティになって初めて「日本人である自分とは」という事、日本人としてのアイデンティティについて考えるようになりました。

アイデンティティについて考えるきっかけとなった出来事

海外で生活していると、日本では起こりえない出来事が多々起こります。

一つ一つは些細な出来事ですが、それらが重なると自分でも知らず知らずのうちにアイデンティティについて考えるようになっていました。

どんな出来事がきっかけとなったのか、少し実例を紹介します。

世界の若者は愛国心に満ちている

海外の語学学校に通ったり、バックパッカーの旅をしたりすると他国出身の友達が沢山できます。

どの国出身の子も、みんな自分の国の話になると自慢がすごいんです。

学校の友達とのポットラックパーティー(食べ物持ちよりのパーティー)で
パーティーには、イタリア、メキシコ、アルゼンチン、韓国、日本の国の友達が参加していました。
すると、メキシコ人とアルゼンチン人の友達がサッカーの話を始めました。
二人とも自分の国のチームがいかに素晴らしいか主張します。始めのうちは仲良く話していましたが、そのうち口論が始まり、お互い一歩も譲りません。
最終的には、力づくで引き離されてその喧嘩は終わりました。

普段は、南米同士でとても仲良くしているんです。始めは男性同士で言い争っていたのに、しまいにはお互いの彼女まで参戦して収集がつかなくなってしまいました。

日本人はここまで熱くナショナルチームの事を他国の人と言い争えるのだろうか…

自分の国の首都の美しさは世界一だと言ったクラスメートある日、チェコのクラスメートと話していた時、チェコの首都プラハはとても美しい街だと教えてもらいました。その美しさは世界一だと彼女は言います。そして、「あなたは日本のどこを誇りに思う?」と聞かれ即答できずにいると、とても不思議そうな顔をされてしました。

「日本の誇り」って…、即答できませんでした。
私の頭の回転の悪さもあると思いますが…。
日本にいる時、そんな質問されたことがありません。そして、考えた事もありませんでした。
そして、普段はおとなしく強めの主張もしない彼女が、迷いなく自分の国の首都を世界一だと言ってのける姿に驚きを隠せませんでした。

質問に即答できないでいる私を見て不思議そうな顔をしている彼女に「あなたは自分の国が好きじゃないの?」と言われているような気がして、恥ずかしくなってしまいました。

お国自慢大会は突然にみんなで話している時、誰かが自分の国のココが素晴らしいというと、「俺の国にもそんなものくらいある」「私の国にはこんなものがある」「僕の国の方がもっとすごい」と俺が俺がと言い始めます。

みんな自分の国が大好きなんだなぁと感じました。(負けず嫌いも大いにあると思いますが)

私が黙って見ていると、「日本にもいいところあるだろ? ほら、言えよ。」って。

この手のお国自慢大会には、なかなか参戦出来ません。

このような経験をいろいろしてくると沸いてくる疑問があります。

私には、そもそも愛国心なんてあるのだろうか・・・?

他国出身の友達は、みな自分の国に誇りをもっています。

内なる自分に問いかけます。「私は日本の事が嫌いなのか?」
答えは、「ノー」です。それだけは即答できます。

では、何故他国の人々が自国自慢をする中に入っていけないのか…

考えているうちに、一つ気が付いたことがあります。

海外で生活をする前の自分は日本のどこが好きか、日本の素敵な所はどこかなんて今まで考えた事なかったという事。

日本人は世界でどのように捉えられているのか

日本人に対するイメージは良い面も悪い面もいろいろあります。

ホームステイ先は大抵すぐ決まる日本人の女子はマナーが良く、ルールを守ると思われているようで、大抵の場合条件の良いホームステイ先がすぐに決まる

カナダのトロントでのコーヒーショップの仕事では店番を実質一人でやっていたカナダのトロントでコーヒーショップで仕事をしていました。その際、午後の店番は実質私一人で行い、一日の売り上げ金の入金までやっていた

私の仕事のポジションは私の前も私の後も日本人の女子(ワーホリ)が行っていました。1年未満で入れ替わるバイトにここまでさせてくれるのは、オーナーの日本人に対する信頼感の現れではないかと思います。

上層階からの眺めが有名なレストランで案内された席が・・・上層階にあるそのレストランは窓際の席からの眺望が素敵な事で有名なお店でした。
ですが、窓際の席が大分空いていたにもかかわらず私達(日本人二人連れ)が案内された席は、窓際から遠く離れた出入り口付近でした

これは、悲しかったです。
しばらく時間が経ってから窓際の席を見てみると、金髪のスラッとした欧米人で埋め尽くされていました。(一気に卑屈になってしまいました)

この様に、日本人に対するイメージだけで、思わぬ好待遇を受けたり、もしくはその逆があったりします。

そんなことが度々起こると、次第に「日本人はいったいどう思われているんだろう…?」という疑問が生まれてきました。

まとめ

一歩外に出てみると、日本の中にいる時には気付かなかったことがいかに沢山あるかという事に驚きます。

日本人の良い所、悪い所。世界から見た日本人のイメージ。自分の中に潜在的に存在していた日本人的な部分を実感する事も多々あります。
そんな時、良くも悪くも「あぁ~、私って日本人だなぁ~」とひしひしと感じます。

知らない自分に出会ったような気分になります。

「アイデンティティについて考える」とは、自分の内面をどんどん掘り下げ、分析していくような作業ではないかというのが、私の個人的な解釈です。

小難しく聞こえたかもしれませんが、やってる事は海外に出て、日本や自分に関わる事で「知らんかったわ~」とか「気付かんかったわ~」という事について少し考えてみたというだけの事です。

たったこれだけの事ですが、こういう機会を得られたことも、ワーホリで海外で生活してみて良かったなと思えることの一つです。