ワーホリでオーストラリアかぶれした私が帰国直後に感じた事
ワーキングホリデーの1年間のビザが切れると、待っているのは 帰国 です。
1年と言う長い期間(私にとっては)海外に滞在したのは、初めての経験でした。
オーストラリアに1年間滞在して、滞在期間中楽しくて仕方がなく、「帰国したくない!!」という気持ちでいっぱいでした。
1年間オーストラリアに滞在した私の内なる変化
オーストラリアは日本同様、海に囲まれた島国です。が、自然・文化・生活スタイルに至るまで日本とは相当違います。
人々の価値観・行動様式も異なる点が沢山あります。
私が驚いたオーストラリア人の行動
- タンクトップからブラのひもが出ていても気にしない
ー日本で女性の肩からブラのひもが出ていたら大騒ぎです - ぽっちゃりさんでもほぼビキニ
ー日本では周りの目を気にして、ひらひらワンピースしか着れません - ビーサンでどこでも行く
ービーサンでヴィトンに入れた時は感動した - 裸足で外を歩く
ーこれぞオージー - サーフボードやボディーボードを持って電車に乗る
ーこれぞオージー - 何かというと B・B・Q をする
ーほとんどの公園に BBQ セットが設置されている - 日本人はほぼ子供(年齢より若く)に見られる
- 改めてみんな背が高い
ー154cmだとほぼ見上げる生活 - 鼻毛出がち
ーせっかくカッコいいのに・・・もったいない
とにかく、細かい事を気にしないのです。
国土は日本の22倍、人口は1/5という広大な大地に生活しているとこうなるのでしょうか。
1年オーストラリアに居るうちに、当然の事ながら私も染まっていきました。
青い空・青い海・緑のブッシュ・赤茶けたアウトバック。
むき出しの自然の美しさの前で、細かい事を気にしている方がアホくさくなってきます。
オーストラリアは日本と比べて、とても開放的です。
人々の行動も心の在りようも。
オーストラリアで開放的に暮らすうち、日本人は何かにつけ細かい事、人目を気にしすぎるなぁと感じるようになってしまいました。そしてついには日本人に対して批判的発言をするようにもなってしまいました。
私は、生まれる国を間違えたとさえ思っていました。
帰国直前に留学センターのベテラン職員さんに言われた言葉
帰国1週間前程前、オーストラリアに来たての知り合いを街の留学センターに連れて行きました。
そこには、一人の男性ベテラン職員さん(年齢はおそらく50代)がおられ、知り合いの要件が済んだ後にその方と少し雑談をする機会がありました。

あぁ~、帰りたくないなぁ~。
このままオーストラリアにいる方法ないですかね~。

でも、一旦帰った方がいいよ。


このままオーストラリアに残るよりも、そうした方がいいよ。

理由までは突っ込んで聞かなかったため、納得ではできませんでした。
しかし、オーストラリアに何十年も住んでいるだろうベテラン職員さんからは、妙な説得力が溢れていました。
当時滞在期間を延長する術も私にはなかったので、そのまま1週間後、後ろ髪をひかれつつ大人しく帰国することに。
成田空港で感じた、日本人としてのDNA
帰国前日、荷造りをしているときから悲しくて仕方がありませんでした。
オーストラリアで過ごした日々、オーストラリアでできた仲間たち、考えるだけで寂しくてしょうがないので、もう何も考えないようにしていました。
帰国の日、PERTH 国際空港でイミグレーションで出国の手続きをする際の係官とのやり取りです。


It’was awesome!!
I love Australia!!
とついつい感情が抑えられず、言わなくても良い事を言ってしまいました(言わずにはいられなかった)。
飛行機に乗り込み、機体が離陸し飛行機のタイヤが地面から離れた瞬間、涙がボロボロ~(アホか・・・)
映画を見ても、内容が全く頭に入って来ません。機内食を食べても、味もわかりません。どんどんオーストラリアから離れ、日本が近づいてくる。
あぁ~、やだやだやだやだ・・・
7時間が経過し、機体はどんどん高度を下げていきます。
私は、日本に帰るのが嫌すぎて、日本の風景を目に入れたくなくて、窓から外を一切見ないようにしていました。
日本に帰国するという現実を機上の人となってもまだ受け入れられないのでした。(往生際の悪い…)
ですがその時は来ました。
機体のタイヤが ”ドンドン” と成田の滑走路に着地しました。
あぁ~、着いちゃった・・・・着いちゃったよぉ~・・・
そこで初めて窓の外を恐る恐る見てみました。

滑走路の向こう側に空港ビル、そして空港ビルからそびる数本のタラップ。空港ビルに書いてある世界共通であるはずの数字すら日本チックに見えてきます。
あぁ~・・・・、あれ?・・・、ん?・・・、
嫌じゃない・・・?
あんなに嫌だと思っていた帰国。しかし、まず目に入ってきた成田空港の風景は、私に嫌悪感を抱かせるものではありませんでした。
おかしいな・・・
処理しきれない感情のまま、とりあえず飛行機から降り、空港ビルの中へ。
案内板の文字も看板の文字も全て日本語、耳から入ってくる言葉も全て日本語。すれ違う人もほぼ日本人。そこは、紛れもなく日本でした。
でも、どうしてだか嫌じゃないんです。
そこで、イミグレーションの列に並びながら、何とも不可解なこの感情を分析してみました。
すると、心の奥底で何かホッとしている自分がいることを発見しました。
否定しようのない安心感に包まれてしまっていました。
まるで、大暴れしている反抗期の子供が、親にやさしく抱きしめられ徐々に大人しくなっていくような。
わかります…?
やっぱり私は日本人だった
トランジットの時間があったので、空港ビルの待合のベンチでボーッとしていました。
すっかり気分はオージーだった私も、日本に帰国していきなり感じたこの安堵感。
「やっぱり、私って日本人だったんだなぁ~。」
あらがいようのない日本人のDNAを感じた瞬間でした。
空港の大画面のテレビでは、さんまさんのトーク番組が流れていました。
空港にあふれている文字も、人々の話す言葉も、テレビから流れてくる高速の会話も、全てがわかるのです。
理解できないことなど一つもないのです。
ボケーっとしていてもわかるのです。
らく~。
留学センターのベテラン職員さんの言葉を思い出します。

こう言うことだったのかな・・・
成田空港のベンチに座ってさんまさんのトーク番組を見ながら、私がこの国で生まれ、この歳まで育ってきたという事実を、ひしひしと実感したのでありました。